東南アジア現代美術展をきっかけに@森美術館、新国立

東南アジアの現代アートの記録性が明確な指針となるのが、新国立と森美で開催されている「東南アジア現代美術展」である。戦後に描かれたタイ、ベトナム、シガポール、マレーシア、インドネシア..などのアーティストが作った作品には、戦争の惨禍という古めかしいテーマが無残な線引きで、作品の短絡性を与えかねないが、半世紀過ぎてもなお、日本人が思い出さなければならない、痕跡があった。それは、多様性である。 新国立劇場と森美術館。二つの美術館をまたぐという利便性の低い展示。「戦争とアート」という、簡素な戦後価値によって、アート自体を冒涜しかねない美術展のテーマ。しかしどんな欠陥があったとしても「サンシャワー:東南アジア現代美術展」には、我々日本人がみておくべき表現の今がある。 (続) 教科書的な説明から、20世紀の侵食という危機意識、1848年以来、人類はあきずに同じことをやっているという、東アジアにおける社会意識については、後日触れる。内容に入る前にとりあえず、勧める。     サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで http://www.nact.jp/exhibition_special/2017/sunshower/   展覧会ホームページ http://sunshower2017.jp/        

「疑惑のあなたのニュース」立ち上げのご挨拶

  ご挨拶 このサイト、『疑惑のあなたのニュース』(www.gorotsuki.wpblog.jp)は私の「個人史」が起因となって立ち上げられたものであります。私の経歴・賞罰・仕事歴はこちらでご笑覧ください。 本サイトは、ネットでお金儲けする人のなぜをみつけて、なぜに答えるニュースサイトです。みなさんのなぜに答えるために、当事者にあったり、現場で事実を見つけます。テーマはエンターテイメントとユーモアに包まれた疑惑の追及です。 そもそも、『悪事は追及する』『頑張る人を支える』ーそれがメディアの力であるとみなさんはお忘れではありませんか?世の中にはその二つを両立したメディア機能がありません。オランダの「デ・コレスポンデント」は有料の調査報道ネットメディアとして成功しており、『隷属なき道』(ルドガーブレグマン)のいう世界に実現に邁進しています。広告収入に一切頼らない。月6ユーロの購読収入で運営するという、独立性を維持したニュースサイトであります。 本サイトは、広告収入の形式をとる予定ですが、従来の客観報道をやめます。書き手の怒り、疑問、喜びが素直に出た記事にすることや、日々のニュースを追うのではなく、深い背景をえぐるストーリーを追います。従来の客観報道をやめるという趣旨では、オランダの調査報道「デ・コレスポンデント」と同じ立場をとります。私は16年間の仕事を通じて、自分が何者で何を信じているかを前面に出したメディアのこそが信頼を得るという確信を持っています。真面目な人が損する社会はダメだという思いが過去からの教訓であり、未来への希望です。 今後ともよろしくおねがい申し上げます。 「疑惑のあなたのニュース」管理人 Universal Islands代表 塩谷檀葉   トピック ・はじめに ・恩師との出会い ・恩師からの教え ・日々の時間に自分は存在しないー過去とのつながりが強くなる毎日 ・何ができるのかを探し求めて ・最も強い人間はこの世で生きながら死ぬこと。 ・思考と感覚は過去から生まれる ・おわりにーなぜ、ねじまげるのか。   はじめに 以下をお読みいただくと、なぜこのサイトを私が運用する必要に至り、このサイトが今後どうして世の中に必要なのかおわりかいただけると思います。 私は、1976年9月に京都左京区の三条通1番地にある古い家で生まれた。この家はいまでもある。 古めかしい角ばった引き戸に大きな盆が掲げてあるのがその長屋だ。彼の父親吉田祥宏は京都の左京区生まれで、職業は経営者。彼の祖父もやはりそうだった。養祖父の一人は引退して東京に住んでいるが、以前はずっと京都や徳島の木工現場で工芸技術を教えていた。 つまりこの家系は、父から息子に受け継がれる形でみんな経営者だったのだ。祖先の一人は早稲田大学の理工学部出身の薬学博士だったが、34歳の時に兎糞症で死んだ。私の母は美衣子。良識のある人で、52歳で多臓器ガンで死んだ。 爪先《つまさき》まで充血するほど身もだえながら、贋魚はふと、自分が贋魚かもしれないという、致命的な疑惑に辿りつく。いったん疑いはじめてみると、たしかに奇妙なことだらけだ。手足のことばかりでなく、生れつき声帯だってあるはずもない魚の身で、こんなふうに言葉を使って悩んでいる。むず痒《がゆ》いような二重感覚(安部公房『箱男』) デビュー作は、『食のすべて』(NHK)と言うタイトルの凡庸な番組だった。次に番組台本を書く。史上初めて東京の児童買春の買い手組織を題材としたドキュメンタリー『少女たちが陥る罠』である。 これは2010年にテレビで放送された。狙うとするところは貞潔なものだったが、テレビでは風紀錯乱にあたるとして、著しく自主規制した。ご承知のように、韓国の映画監督のキムギドクの『やぶしま』が性と女性表現に対して、突破口を開くのはこの後のことである。それによって私が製作したテレビドキュメンタリーも放送されることになり、一定の評価を得た。この作品は、取材においてあちこちに精確な観察が収められている。 そしてすでに、この作品の映像の病的な性質が露わになっている。しかし私に言わせれば、言葉があまりにもヴォルテールのカンヴィード的<破滅的>なのかもしれません。デビュー作としては興味ふかいし感銘も強いが、短すぎるし個性も十分に発揮できていない。その後、アドボカシー(弱者の権利擁護)の立場で、報道ドキュメンタリーを始めことになる。そんな私の人生をきめたのは、恩師との出会いである。   恩師との出会い 人間の出会いというのは、本当に些細な偶然から始まるものなのである。平成20年、わたしがまだ大学の三回生だった頃、京都市左京区にあった大学から、京都の美術館へ、課外授業に連れて行かれた。おそらく課題教育のつもりだったのだろうが、ものすごくしずかな館内で、私たち学生一団はガヤガヤと話をする大体の学生は、迷惑な客だったと思う。 その日は、京都に眠る大衆芸能と 民謡という特別展が行われ、京都にまつわる江戸期発祥の芸能や民謡から、チンドンやまで陳列されていた。しかし、それらの資料については、何の記憶に残っていない。それらの前を、通り抜ける学生の一団のひとりだったにちがいない。 しかし、やがて私の目には、一つのへ殺風景の部屋の中に、一人の年配の男性が目に入り、その語り口や人柄に吸い寄せられていた。私は、今でも、その時の記憶や、表情がはっきりと覚えている。それが私の恩師となった岡本一彦さんとの最初の出会いである。 岡本さんは、東京を拠点としたテレビ台本作家で、日本オペラの劇作家でもあった。「鳴神・俊寛」、パントマイムを融合した地唄舞など、大衆的な視野にあった新しい表現を追究しているひとだった。1964年にNHKで製作した「大仏開眼」が文化庁芸術祭で優秀賞に輝き、ザルツブルク映像祭で受賞したことで、1980年から、文化庁芸術祭の審査員を務めていた。その日は彼の作品を初めてみる機会となった。 民謡、パントマイム、江戸手妻…岡本さんは何か深い思いがあって、大衆芸能に興味があることは、わたしのような学生でもわかった。その深い理由は後になって、知ることになる。 第二次世界大戦の敗北で日本は急激な西洋化がまだ生々しく記憶に残っていた当時(岡本さんの作品は1960年代が最も評価されていた)、日本人が古来から持っていた根強い日本人としての意識や、粘り強い生き方から掘り起こした様な大衆の表現を芸術に深化させていた。その当時、学生だった私も、日本が西洋化する時代性がある中で、生活実感のある表現が必要であると考えていた中で、岡本さんがそうした表現で世界に挑戦する仕事、彼の天才的な予見を感じたことに、いまでは思えてならない。岡本さんの表現は、生活のために生きる日本人の生き方や考え方を捉えているだけではなく、するどく未来へと突き刺す批評も存在していた。 恩師からの教え 岡本さんは戦争中の軍国主義の思い出が強く、戦後の作品も、社会批評のために作られた作品が多い。岡本さんは子供の頃から西洋オペラが好きで、戦争のとき岡本さんと兄はドラム缶の中に隠れて、オペラを聴いていたという。広島の師範小学校の四年生の時、原爆した。岡本さんがいたのは、原爆投下の場所から半径18キロの地点である。戦争という記憶のなかで、日本人が言葉にできなかった思いや考えを「大衆芸能」という思想から、あらゆる価値を引き出すことに挑戦をし続けた。 当時私の友達で医学部の山田という男がいた。酒が好きな男で、長野県立上田高校で成績トップで、4浪の末に大学に入学してきた男で、私は彼から酒を教わった。漠然と、岡本さんの作品を寮で眺める私のそばによってきて、「君は芸術が好きなのか」と聞いた。山田はその時、おそらく医学というサイエンスを勉強する世界の対比でそういったのだと思うが、それはわからない。しかし、私は岡本さんの作品から「真面目なひとに光を当てる」「頑張っているひとや困っている日に光をあてる」、そしてそれを誰かがやらなければならない」という決意がマスメディアの仕事であると学んだ。 日々の時間に自分は存在しないー過去とのつながりが強くなる毎日 当時、私は実の母親を病気で亡くし気を落としていた。市内の寺や、ひとの家に住み込んだりして、大きく禅に傾いていた。前期の細密描写の絵も好きで、禅としての抽象的、象徴的なテーマが好きだった。それはわたしにとって、人生とはなにか、日本人とは何か、ひいては表現とは何か、仕事とは女性とは何かという問い詰めをした時期だったかもしれない。同時に、教養や常識に縛られることがなく、人生を味わう基礎になったかもしいれない。それは、あとに私がテレビドキュメンタリーで、児童買春組織を逮捕へと至った作品や、有名なドキュメンタリー番組の1製作スタッフとして、20カ国ほどに訪問して番組を作る様になり、投資業へと常識破りの転換に至るきっかけでもある。 何に関する議論なのか、私にはわからなかった 私は岡本さんとの出会いが感動の尾を引いて、それから10年ほど文化庁芸術祭の支援公演を一緒に観覧しては、岡本さんと会い続けた。平成15年から平成21年にかけて、私は報道番組と子供番組を作っている。この中では、教育番組のシャキーンで、共同スタッフとしてテレビアジア賞を受賞するスタッフの一員として名誉を得た。何よりも喜んでくれたのは岡本さんである。しかし、この時期は私にとっては沈滞期で、本来に自分にしかできない表現や仕事という意味での問い詰めが、テレビ映像のスタッフの役割に終始して、悩みを抱える日々だった。作風としては、オリジル性に乏しく、あまり興味がある仕事は個人としてしていないと思う。 何ができるのか探し求めて 私が自分を取り戻すのは、平成23年にドキュメンタリー番組を製作してからである。NHKや民放で1970年から80年代に活躍したドキュメンタリストの影響で、自分しかできない新しい表現や仕事をしようと、メディアとしての本来の主題に立ち返るのであった。それから、テレビメディアから独立をして、インターネットサイトで編集長を務め、独立してからもドキュメンタリー番組の製作や、地道な調査と取材で逮捕に至るドキュメンタリーを数作作ったことで、私の取材を追いかけるというBSの番組出演もする機会を持った。真面目な人が損する社会は絶対に止めなければならない。そういった理想を胸に追いかけ続けることが、私の真骨頂が発揮されている。 この種の作品はテレビの長尺で発表した数は少なく、報道や情報番組の短尺枠が多い。まとめてインターネットで紹介することは難しく、折を見て、台本や脚本などを通じて紹介したいと思う。 最も強い人間はこの世で生きながら死ぬこと。それは過去に世界が存在したあかし 岡本さんは2011年に74歳で他界した。そして私と岡本さんとの再度の「出会い」去年の大晦日である。私が、独立をして2年目である。そこは、岡本さんが25年間支援続けた「東京の民謡を歌い継ぐ」という組織の定期公演だった。私は31日の大晦日の夜、高齢の客がポツポツと集める浅草の小さいなホールで、岡本一彦という一人の男が74年間信じ続けたものを見た。 思考と感覚は過去から生まれる それは、影も形もない、温かなものである。私はプロの厳しさ、芸能のふしぎ、仕事の楽しさを、岡本さんから教えてもらった。仕事場で何度も話をして、生活の場にお邪魔して、夫婦喧嘩もみた。お金にこまっている岡本さんは、困っているそぶりを見せずに、いつもお金を払ってくれた。 物事は正しい。私の眼の前で起こることは。 なぜ、ねじまげるのか インターネットでは、若者たちが、一攫千金を夢見て、巧みな話術でお金を集めている。しかし、原資は真面目な人たちが、汗を流して稼いだお金である。毎日の雑踏の中でも、生活に苦しみ、家族のために状況を改善しようと必死にもがいている人がいる。そんな人たちが犠牲になるビジネスならば、くいとめなければならない。「なぜ、ねじまげるのか」ーそれがこのサイトで私のメッセージです。    

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経歴と受賞歴

塩谷 檀葉 (本名 吉田 櫛ニ) 私の仕事が何でも屋のように見られるのは、私にも至らぬ点があるからだ。というのは、こういう各種の仕事にわたる私の仕事には、大ざっぱに言って、少なくとも三つのちがった傾向なり、意図なりがある。かりにそれをABCのみっつにわけておこうか。私が一つの仕事をするときに、とてもこんな説明は発表する機会が恵まれているわけのものではないから、混乱や批判や非難をうけることはやむをえないかもしれない。しかし、少なくとも説明する努力をしないといけないだろう。それを私は、わざと説明をはぶいて、それから生じる混乱を面白がり、何たる奇想天外な人たちと、気取っているのがいけなかった。近頃は反省をして、せいぜい納得して頂くためにも少し説明をさせていただくことにします。 かりに ABCといったが、 Aというのは有価証券投資や映像開発を分析する態度である。 Bというのは真に新しいメディアの表現を創造していこうという方向である。CというのはAに関連して、普通に生きている人の障害と戦っていゆくための手段としての方法である。Aを科学的態度、Bを芸術的態度、Cアドボカシー的態度といってもよいだろう。この三つをあらゆる機会に打ち出していくのが、私の仕事のすべてである。 ・経歴 京都府出身。2002年京都大学経済学部卒業。(大学時代1、2、3、4、5)、NHK入局。(正規職員。健康保険の画像)。カナダの大学に進学(通信制の教養学部。卒業せず;できず)、日テレ(ZIP在籍当時のウェキペディア参照、画像)を経て、フリー。2016年2月、大手コンサルティング会社の部長職にヘッドハンティング。2016年7月、創業。TOEICは810点(画像)宝塚好き(画像)本の虫(画像04年当時)。愛機Nicon D4。 ドキュメンタリー取材当時。CAにて       ・受賞歴 アジアテレビ賞(制作ディレクターして共同受賞)子供番組。 製作スタッフ10名の共同製作という立場での受賞である。 シャキーン 2009年製作回。子ども番組部門奨励賞 ・実績 <Cに属する仕事として> ドキュメンタリー オリジナル取材 ・日本最大の貧困ビジネスの調査及び取材 期間八ヶ月 実績:2ヶ月で拠点の証拠化。12名の弁護団。逮捕。貧困ビジネスに「クーリングオフ制度」の法解釈を応用した最初の事例となった。当時の記事(朝日新聞朝刊3段抜) テレビ放送  日本テレビ情報番組 短尺 15分 参考画像はこちら(1、2、3、4、5) ・偽造事件の外国籍の詐欺グループを実名追及 期間:三ヶ月 実績:逮捕 調査の過程でグループ本社が放火された。放火された証拠写真。 当時のニュース ・未成年の売春ビジネスの調査及び取材(当時首都圏の3か所が摘発)</p></B> 期間:六ヶ月 実績:神奈川県に1カ所、都内に2カ所の児童売春組織を特定、逮捕。 テレビ放送 「児童買春ー少女たちが陥る罠」(CX系) 番組の一場面。番組企画はこちらで一部見られます。番組キャプチャーはこちら(1、2、3、4、5、6) 大手広告会社幹部を騙りアイドルと女優を食い物にした詐欺師の追及 期間:六ヶ月 実績:2012年4月以降、数十人の女性を食いものにした男。6月に初接触、7月に2度目の直撃、10月に当時の居所を調査し判明。(女性宅)を直撃、12月に4度目の直撃を経て、2月に逮捕。約30名の被害者のヒアリング、証拠化。 テレビ放送 「水トク」(TBS系);企画の持ち込み。本取材が発端で、BSバズーカで2どの特集が組まれた。 追跡していた時の画像。当時の放送@youtubeはこちら。 画像(1、2、3、4、5) ・Iクリニックの医師法違反の追及 元毎日新聞社会部記者と共同取材。違法工場の特定、卸・中間業者、関係者居宅への直撃取材。関係官庁との協力を重ね、廃業となった。 当時の画像(1、2、3製造拠点、4、5) ・EC販売詐欺 高額商品をかったものの、送ってこないという業者。資金に窮していたという。 当時の画像(1、2、3、4) ・外国人研修制度の中国人ブローカーへの接触と人権問題の追及 当時の参考画像はこちら(1) ・鶯谷、韓国本番売春店への追及 東京都下に蠢く韓国人デリヘル。大型店の拠点を特定、直撃。証拠化。廃業(逮捕)に追い込む。311以後の疲弊した日本で税金を払わない外国人の違法送金をカメラは抑えた。 (1、2) ・大手Aアジア担当経営者による集団わいせつ事件 北京で違法操業している飲食店を特定。中国商工部に届け出の有無を確認。証拠化。報道。   テレビ局 Bに関する仕事として。 Bは、私が表現者としての活動の中心をなすものである。私は基本的にリアリストであり、反文学主義、反自然主義である。目に見えるものとしての表現を目指している。 NHK Eテレ在籍当時 当時の画像(1、2、3、4、5、6)原稿(1、2) 日テレ 当時の画像(1、2、3) 最高視聴率は、朝帯12.4%(12年番組年間最高)、ゴールデン10.2% テレビ東京ドキュメンタリーガイア製作時 当時の画像’(1、2、3、4、5、6、7)中国(1、2)ほか 恩師・岡本一彦 画像(1、2、3、4、5)「恩師との出会い」について 住居変遷 実家ー学生寮ーひもー世田谷実家ーアパートーアパート2ー311(新宿ratour(2、3))ー UR ー20平米のアパートーモンゴルの家ー   趣味 花器収集趣味:美術(国内外の美術館) 趣味;写経 趣味;資料集め 2009年当時  

京都・大文字の灰の放射能分析結果

9月初旬に京都の大文字山頂で採取した灰について、放射能分析の結果を報告します。(依頼先機関・京都大学) やはり「灰」でなく炭とか燃えかすですと、濃度が低すぎて上手く定量できませんでした・・・燃やした直後にキープしておくべきでした。 朝日の記事によると、 「東電はこれまで、海に流出した汚染水中の放射能量は約4720兆ベクレルとの推定を発表しているが、今回は、これに大気からの降下分を加えた結果、3倍を超える値になった。 」とありますから、 http://www.asahi.com/special/10005/TKY201109080611.html 東電の値は直接汚染水として放出された分、と考えらます。上乗せ分については、おそらく、SPEEDI などのシミュレーションで、どのぐらい発生源で放出されればどの程度放射能が広がっていく、と言うのを逆算して求めているはずです。食品中の放射能については、それを毎日食べ続けるかと食べる量が重要になってくると思います。 たまにしか食べないものの「濃度」を気にしても仕方がないです。「総量」が重要ですから。昆布のカリウム-40含有量は 2000Bq/kg ですので・・その意味では米など主食は多少厳しくした方が良いのではないかと思います。 500Bq の Cs-137 経口摂取 → 換算係数 1.30E-05 mSv/Bq → 6.50 μSv の被曝に相当 → 365日毎日摂取 で 2.37 mSv 被曝に相当。 摂取した瞬間に将来にわたって被るリスクをひっくるめて Sv で表わすと以上のようになります。事故前は食物からの摂取は 0.29 mSv/年程度...

「法律違反以外何をしてもいい」という泉の超絶した技巧派の名人ぶり

情報商材ビジネスで有名人の一人と言われる泉忠司。 情報商材ビジネスとは、情報という商材を書類やセミナーで売るビジネスである。泉氏とは、ケンブリッジ大学に留学して、20年間以上大学の講師をやっていたという人。現在は、ビットコインの亜種、ノアコインをフィリピンで開発をするも、返金騒ぎの只中である。   ノアコイン(Noah coin)が返金受付を開始〜今後の方向性は 泉忠司【ノアコイン:返金開始】誇大広告の代償。7月10日から60日間返金受付けますよ。謝罪文 ■NOAH GLOBAL INNOVATION SERVICES からのお知らせ: https://noahcoin.org/news02.html ■返金申請関連サイト:https://t.co/M22GF1NEWm   彼の文句のなかから誰でも知っている言葉がある...。それは、「法律違反以外何をしてもいい」ー 泉忠司の著書『バカとブスこそ金を稼げ』(マネジマメント社)や、有償DVD「器としての影響力の実践講座」に記された自著からの一部である。大意は、「成功ビジネスをしている限りは、どんな方法でも、決して成功を目指すべきである。法律違反をしないかぎり、何をやっても構わないと、自分の弟子たちには教訓している」ということである。 成功ビジネスというのは、情報商材の販売や、ビジネスの秘訣を教える塾をいう。弟子というのは、泉の有償講座でたくさんのお金を使った人を中心とした泉塾の母集団である。そういうものでも、”必死になって”成功を目指すべきであるという、教訓であろう。 「いま、資産は増やすものである」「いまこそチャンスを逃してはならない」と、神経質なくらい、ノアコインという仮想通貨の投資ビジネスをIが今年になって、客の中でいい注いできたのが、返金騒ぎになっている。「フィリピン政府が支援している」「フィリピンの銀行が協力」「紹介する投資案件は大規模開発の予定がされている」ー とにかく、難技巧ちりばめながら、影の主人公であるIは主張を、ノアコインの動向の中でとどめつつ、人情話的な謝罪へもっていくそぶりは、「法律違反以外なにをしてもよい」という、泉のような超絶した技巧派の名人によってしのみ、可能だったに違いないわけで。 そのようなかね備えは、泉の塾に大金を払って参加する平均的な日本人には求め難く、やり口を小分けにしたとしても、そんな大胆な嘘は、法律違反以外何をしてもいいと言われても、できうるものではない。それは情報商材ビジネスだと言われても、実践は難しいのではないか。 そもそも、泉の成功ヒストリーや、商材のコピーライティングや吊り広告もまた、泉の本当の力量を知った上で、このような、泉という主人公不在(に近い)演劇を、書き上げたのであったことは言うまでもない。
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